東京高等裁判所 昭和27年(う)2566号 判決 1953年6月20日
主文
原判決を破棄する。
被告人堀切重富士を徴役三年に、
被告人宮崎幹雄を徴役二年に処する。
但し、被告人両名に対し、本裁判確定の日から五年間右刑の執行を猶予する。
押収に係る出刄庖丁一挺及びその破片並びに柄各一個(千葉地方裁判所木更津支部昭和二十七年領第一七号の一乃至三)は、被告人堀切重富士から沒収する。
当審の訴訟費用は全部被告人両名の連帯負担とする。
事実
本件控訴の趣意は、末尾に添えた被告人両名の弁護人秋山要、同鬼形六七八各別名義の控訴趣意書と題する書面記載のとおりであつて、これに対し当裁判所は事実の取調として、本件犯行現場の検証を為し、証人石橋平八郎、同宮崎みよ、同桜井正三、同鵜飼要、同小泉正、同玉井竹治、同堀切みつ及び同堀切重晴をそれぞれ尋問した上左のとおり判断する。
弁護人秋山要、同鬼形六七八の控訴の趣意各第一点(訴訟手続の法令違反)について≪省略≫
弁護人秋山要の控訴の趣意第三点及び弁護人鬼形六七八の控訴の趣意第二点(いずれも事実誤認)について。
第一、被告人堀切重富士に関する部分
原判決が被告人堀切重富士に関する部分について挙示する証拠を総合すれば、原判決摘示にかかる同被告人の被害者宮崎林蔵に対する殺人の事実は、後記同被告人の殺意の生じた時期に関する事実誤認の点を除き、これを認定し得るのである。即ち右原判決挙示の証拠以外の本件にあらわれた証拠をも併せて検討してみると、同被告人は被告事件に対する陳述として、「相手が死んだことについては間違いありませんが自分は無中で付き剌したのですが殺す考えはなかつたのであります相手を怪我させようと思つたが別に死ぬと云う事までも考えませんでした」と弁疏し(原審第一回公判調書中の同被告人の供述記載)、原審第五回公判期日における同被告人に対する質問調書の記載中に同被告人の供述として、「昭和二十七年一月三十日被害者宮崎林蔵の長女Aと結婚したが、同女はやさしい女で真面目であるし、右林蔵は恐ろしい人だつたので、Aが可愛想であると思い好きでもあつたので結婚する気になつた。林蔵は非常に恐ろしい人で自分の云う事に対して自由にならないと暴力をふるい酒をのみ博奕をやり女癖も悪く妻Aも関係され、妾も連れ込んでいた。Aが嫁に来てからも林蔵は仕事にかこつけてはAを呼んで前の様に関係していたことを本年二月中頃Aから直接聞いた。本年三月六日頃にもAは実家へ帰れば関係されるからいやだと言つていた。自分はいやな気持になり、林蔵にかけ合い、相手がきかなければ無理にでもAを引きとつてしまう考えでいた。相手が承諾しなければ殺してやろうとまでは思いつめなかつた。三月七日に出刄庖丁を買つたのは、相手はつよくて乱暴者であるから護身用であつた。三月九日幹雄の長男の葬式で、林蔵の家に行つたが、出刄庖丁は雑記帳の表紙に包んで持つて行つた。葬式が終つて午後八時頃林蔵のいた隠居所に行くと、同人がいたので対座し、「Aとの世間の評判が悪いからAは当分帰さない。自分のところにおかせてくれ」といつたら、林蔵は座つていて何をといつて胡麻か何にかいつていたらしく傍にあつた火のあるコンロを投げつけた。コンロの火は散らばつて疊がこげていた。自分は相手が急に強く出て来たのでかあつとなつて懷に持つていた出刃を右手に持つて出した。その時自分も相手も立ち上り、自分は無中で咽喉の近くをめがけてやつたが後は無中で回数は判らないが、めちやくちやに突いている中に庖丁の柄が取れて疊の上に出刃は落ち、二人で殴り合いなり、其の中相手は南側の庭先に逃げ出したので、逃げるところを後から追いかけて押した様になつたら、相手はうつぶせに倒れたが又起き上つて来たので仰向けに押し倒し、自分が上に馬乗りになつて又殴り合いになつた。相手は助けを求めるように大声を出して三、四回どなつた。そこへ宮崎幹雄が来たので、家の中に出刃があるから取つてくれと言つたら直ぐ持つて来た。その出刃を右手に持つて、どこということは判らないが、咽喉の近所をめちやくちやに続けて突いたが判然とはしないが十回位も突いたと思う。相手はもがいたが、相手が抵抗しなくなつたので、突くのをやめたが、最後に突いたのは胸から上の方と思う。」との部分があり、これに、原審第二回公判調書中原審証人宮崎みつの供述記載部分、原審第三回公判調書中原審証人飯塚勝洪及び同堀切重晴の各供述記載部分その他の証拠を総合すれば、被害者宮崎林蔵は、原判決摘示のように、妻があるにもかかわらず自己の長女A及び長男の妻B子に対して極度に人倫に反した行為に出たのみならず、妾を置いたこともあり、性質極めて粗暴であつて、刃物等の兇器をもつて家族及び近隣の者に乱暴な行動に出ることが多く、怠惰の上飲酒癖もあつて、常識をもつては到底考えることのできない人物であつたこと及び被告人が温順で内気な青年であつて、林蔵を極度に恐れていたことが認められるから、右被告人の供述記載中同被告人が出刃庖丁を買つた動機として、右林蔵に妻Aのことを交渉するに際し、同人から乱暴されることを考え護身用に買つたという点は充分考えられるところであつて、これを措信し得ない訳ではない。又、同被告人が右出刃庖丁を買い受ける前三月六日頃には、まだ原判決摘示のように、林蔵が要求を聴き入れないときは、殺害するとまでつきつめた気持は持つていなかつたとの部分もこれを措信できるものと考えられるのであるそれ故、原判決が右三月六日頃既に同被告人が林蔵を殺害しようと決意し、その目的で出刃庖丁を買い求めたものと認定した点には事実誤認があることになるのである。しかし、たとえ確定的に殺害の意思がなかつたとしても、出刃庖丁をもつて咽喉部胸部等身体の重要部分を突き剌す場合には、相手方が死亡することの認識のあることは当然であつて、殺人罪の成立に必要な殺意があると認定できるものと解すべきところ前記引用の同被告人の供述記載によれば同被告人は出刃庖丁をもつて右林蔵の咽喉近くをめがけてめちやめちやに突き剌し格闘となつて林蔵に馬乗りとなり、更に柄の拔けた出刃庖丁を相被告人宮崎幹雄にとつてもらつて、咽喉の近所を十回位めちやくちやに続けて突いたことの認識があることが認められるから、同被告人に殺人罪の成立に必要な殺意のあつたことを認めるのに何らの妨げもない。それ故、同被告人が夢中で出刃庖丁で林蔵を突き剌し殺意がなかつたとの弁疏及びこれに副う供述部分は措信できないものといわなければならない。
以上説明のとおり、原審には、被告人堀切重富士の殺意の生じた時期及び殺意の内容に事実誤認があることとなるのであるが殺人罪の成立に必要な殺意の認められる本件においては、殺人罪の成否自体には直接何らの影響がないので、右の事実誤認は結局明らかに判決に影響を及ぼすものということはできない。
次に、記録を充分調査しても、同被告人が本件犯行当時妻Aと被害者林蔵との人倫に反する関係を断たんとして焦慮煩悶し、精神的に平静な状態になかつたことが認められるに止まり、弁護人主張のように心神耗弱の状態にあつたものと認めることはできない。そして、このような認定は、原判決摘示のとおり、被告人の原審公判廷における供述や供述態度、司法警察員に対する供述記載等を総合してこれを為し得べく、所論のように常に専門知識を有する者の鑑定の結果によつてこれを認定しなければならぬものでない。又、被告人の本件行為は過剰防衞に該当するとの所論もこれを裏付けるに足る証拠がないのである。即ち、過剰防衞としてその責任が軽減されるためには行為者において正当防衛にあたらないのにこれを為し得るものと誤信したことを要するのであるが、前記被告人の原審における供述記載その他記録全部を精査しても、被告人が正当防衞を為し得るものと誤信したとの事実はこれを認めることができないからである。
論旨は結局すべて理由がない。
第二、被告人宮崎幹雄に関する部分
原判決が被告人宮崎幹雄に関する部分において挙示した証拠を総合すれば、後記の同被告人が被告人堀切重富士の求めに応じ柄の拔けた出刃庖丁を手渡すにあたり、父林蔵を殺害する用に供することを察知していたとの点に関する事実誤認の点を除き、原判決摘示の事実はこれを認めることができる。即ち、原判決挙示の証拠以外の証拠をも併せて考察してみると、同被告人は、被告事件に対する陳述として、「自分が堀切に出刃庖丁を取つてやつたことは間違いありませんが父親は殺されるとは思いませんでした。自分とすると父親は普段からおそろしい人だつたのでこれは堀切がやられると思つて無中で庖丁を取つてやりました私が庖丁を取つてやれば父が怪我するとは判つておりましたが殺されるとまでは考えませんでした。堀切も普段おとなしい人ですから殺すまでのことはあるまいと思いました」と弁疏し(原審第一回公判調書中同被告の供述記載)、原審第五回公判期日における同被告人に対する質問調書の記載中に同被告人の供述として「自分の家族関係は母みよ妹三人弟二人妻B子の八人暮しで妻B子とは昭和二十五年四月二十四日頃結婚したのであるが、父林蔵は短気で乱暴で、自分の思つた事は腕力で通す人で母にもひどい目に合せており、女癖も悪く妾を持つたりしていた。尚自分の子であるAとも関係し子供を二度も生んだ事もあり又Aは重富士と結婚した後でも呼寄せて関係していた。自分の妻B子に対しても結婚した年の八月十九日自分のいない時に関係されその後四、五回手を出したこともあつた。それで母はじめ家族の者は林蔵に対しふるえ上つていた。本年三月九日自分の長男の葬式の日に他の親戚と共に重冨士夫婦も来たが、午後八時頃、母屋で後片付をしていると、四、五間離れた隠居所で戸が壊れるような音がすると共に大声で人を呼んでいる様だつたので、何かと思つて行つて見たら堀切が隠居所の南側の軒下で父に馬乗りになつていた。隠居所に入つてみると疊の上に火がころがつて疊に血が着いていたりしたので、無中でかけて行くと、二人でじたばた殴り合をしていた。すると重冨士が座敷に出刃があるから取つて来てくれと言うので隠居所に行き柄の拔けた出刃があつたのでこれをとつて来て堀切に渡した。それは堀切はおとなしいし父は乱暴であるので兄貴(堀切重富士を指す)やられたら大変だなと思つたからであつた。堀切は出刃を渡すとめちやくちやに突いていたのでたまげて(驚いての意味)母屋の方へ引き返えしたのであるが、無中で恐ろしい余り止めることができず、出刃を渡せばどんなことになるかも無中で判らなかつた。又、出刃を渡せば相手が殺されるとまでは考えられなかつた。父が普段から品行が悪いので堀切がやる事について自分の気もはらすという為ではなく、警察で仕末におえないおやぢだといつたり、何事も我慢して来た矢先堀切が思い余つて父をやつつけて呉れたので堀切に賴まれたまま座敷から庖丁を取つて渡して殺して仕舞うのを手助けしてやつたといつてるのであるが、前に言つたとおり自分にはそんな考えがなかつたのである。」との部分があり、これに原審第二回公判調書中原審証人宮崎みつの供述記載部分、原審第三回公判調書中原審証人飯塚勝洪、及び同堀切重晴の各供述記載部分その他本件にあらわれた各証拠を総合すると既に被告人堀切重富士に関する部分において説明したように、同被告人の父宮崎林蔵の性質は極めて粗暴であり、その行動は極度に人倫に反するのに対し、被告人堀切重富士は温順内気な青年であつて、林蔵を恐れており林蔵と被告人堀切重富士とが闘争した場合には、同被告人が被害を受けるものと考えられる対人関係にあつたことが認められるので、被告人宮崎幹雄が、父林蔵と被告人堀切重富士とが格闘をしている現場に馳けつけた際、被告人堀切重富士がやられたら大変だと考え、同被告人の求めに応じて、柄の抜けた出刃庖丁をとつて来て手渡したのであるがその際父林蔵がこれによつて殺害されるとまでは認識せず、唯傷を受けることしか認識しなかつたとの弁疏はこれを採用するに難くないのである。そうだとすると、原判決挙示の証拠中同被告人が右出刃庖丁を被告人堀切重富士に手渡した際、被告人堀切重富士がこれをもつて父林蔵を殺害するとの事情を知つていたとの部分の証拠となるべき被告人宮崎幹雄の司法警察員及び検察官に対する各供述調書中の該当部分は措信できなくなるのであつて、原審がこの部分を措信し同被告人の弁疏及びこれに副う供述部分を採用しなかつた点において、採証の方法を誤り、同被告人の右知情の点について事実を誤認し、同被告人は尊属傷害致死幇助の責任を負うに止まるべきであるのに、尊属殺人幇助の責任を負わしめたのであるから、右の事実誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかである。この点の論旨は理由がある。
しかし、記録を精査してみても、被告人宮崎幹雄の本件幇助行為が、被告人堀切重富士の生命に対する危難を避けるための緊急避難に該当する事実、本件幇助行為と被害者林蔵の死亡との間に直接の因果関係がないとの事実、本件幇助行為の当時、被告人宮崎幹雄が心神耗弱にあつた事実は、いずれもこれを認めるに足る資料がないのでこの点論旨は到底採用できない。
弁護人鬼形六七八の控訴の趣意第三点及び弁護人秋山要の控訴の趣意第四点(いずれも量刑不当)について。
① 所論に鑑み、記録を充分調査し、当審で取り調べた証人宮崎みよ、同桜井正三、同鵜飼要、同小泉正、同玉井竹治及び同堀切重晴の各尋問調書の供述記載を併せ考察すると、被告人両名はいずれも前科なく、温順真面目な青年で家業に精励していたのに反し、被告人宮崎幹雄及び被告人堀切重富士の内縁の妻宮崎Aらの父であつた被害者林蔵は、性質粗暴家族はもとより近隣の者に対して乱暴な振舞に出ることが多く、怠惰にして飲酒癖があり、賭博を好み、特に女癖が悪く、妾を家庭内に引き入れて家業を抛棄して省みず、剰え自己の子たる宮崎Aを暴行脅迫をもつて姦淫し、これを継続して二児を生ませたことがあるのみならず、同女を被告人堀切重富士方に嫁がしめた後も、事毎に実家に呼寄せて、醜関係を継続し、他方、長男たる被告人宮崎幹雄の妻をも暴力をもつて姦淫する等極度に人倫に反し、常識をもつては考えられない行動があり、被告人堀切重富士が、右Aとの醜関係を断つため、Aを当分実家に帰さないようにしてくれと正当な要求をしたのに対し、炭火の入つた焜炉を投げつけたのに端を発し、本件犯行が発生するに至つたもので、被害者林蔵の行動に非難さるべき点が多いと共に被告人両名の本件犯行の動機に同情すべきものがあり、被告人両名は犯行後直ちに自首し、本件犯行後被害者の立場にある宮崎家は却つて被告人堀切重富士に同情し、何らの感情上の疎隔なく、同被告人とAとの結婚生活が円満に行われ、居町の住民全部を挙げて被告人両名につき刑の軽からんことを歎願している等所論の各有利な事情はこれを認めることができるから被告人堀切重富士を懲役四年、被告人宮崎幹雄を懲役三年六月に処した原審の刑の量定は重きに過ぎるものというべく、(被告人宮崎幹雄については前記事実誤認を前提とすること勿論である)後記のように被告人堀切重富士に対しては懲役三年、被告人宮崎幹雄に対しては懲役二年に処し、いずれも刑の執行猶予の言渡を為すをもつて相当であると解せられる。論旨は理由がある。
以上説明のとおり、被告人堀切重富士につき、量刑不当、被告人宮崎幹雄につき事実誤認及び量刑不当の各論旨は理由があるので他の論旨に対する判断を省略し、刑事訴訟法第三百九十七条、第三百八十二条、第三百八十一条によつて、原判決を破棄するが当裁判所は前記被告人宮崎幹雄に関する事実誤認の点につき、訴因変更の手続を必要とせずに、訴訟記録並びに原審で取り調べた証拠によつて直ちに判決することができると認めるので、本件について更に判決することとする。
当裁判所の認定した犯罪事実その証拠及び法令の適用は次のとおりである。
理由
被告人堀切重富士は、千葉県君津郡昭和町神納二千六百十七番地で真面目に農業を営み、性質温順内気な青年であり、被告人宮崎幹雄は、同所四千五十六番地宮崎林蔵の長男で真面目に家業たる農業に従事しているものであるところ、右宮崎林蔵は妻みよとの間に長女A(当二十六年)、右長男幹雄(当二十三年)、次女八重子ほか二男二女合計七人の子女があり、一家の柱石として家業たる農業に精励すべきにかかわらず、性質粗暴且つ怠惰、飲酒癖があり、自己と家族の食事を区別し、自己のみ美食する等の振舞があつたが今次の戦争に応召、復員後は、日々の行動に益々乱暴な振舞が多く、家族は勿論近隣の者と口論し、自己の意に充たないことがある場合には、刃物その他の兇器を振り廻わすこともあり、生活は困窮しているのに、近所の酒類販売店で酒を借りて、常時飲酒し、賭博を為し、特に性的関係においては、乱倫に亘ること甚だしく、長女Aが十七才に達した頃暴力をもつて姦淫し、妻みよの抗議を暴力をもつてしりぞけ、爾来引続き、脅迫暴力を用いて長女Aと人倫に反すること甚だしい情交関係を継続し、同女をして二度に亘り、自己の子を分娩せしめ、又昭和二十三年八月頃から昭和二十六年八月頃までの間は、有夫の婦である川崎せきと情交関係を結び、自宅隠居所で同棲し、家族の者が農業に精励するのに、自己は川崎せきと飲酒し家業に従事せず、怠惰放縦な生活を為し、川崎せきが同所を出て行方不明となるや、長野県方面にいることを聞知し、右A及び幹雄を長野県へやつてこれを探させ、同女の行方が判らなかつたことを知ると、再び長女Aに対して不倫な関係を継続し、その間長男幹雄が昭和二十五年四月結婚した妻B子(当二十四年)に対し、同年八月頃暴力をもつて姦淫し、その後数回に亘つて情交を挑むという言語に絶する不倫の行為を継続して来たのであつた。
被告人堀切重富士は、近隣の関係で、宮崎一家の家庭の複雑な内容を知り、右Aの境遇に同情し且つAが好きであつたところ、媒酌する人があつたので、自己がAと結婚すれば右林蔵とAとの不倫な関係が絶たれるものと考え、結婚を承諾し、昭和二十七年一月三十日右Aと結婚式を挙げたのであるが(本件犯行当時たる昭和二十七年三月九日には内縁関係にあつた)、予期に反し、右林蔵は些細な用事にかこつけて、Aを呼寄せて実家に宿泊せしめて、情交を迫り、Aも林蔵の暴行脅迫を恐れる余りこれに応じていたので、Aが被告人堀切重富士方に宿泊する方がむしろ僅少であり、同被告人はAから直接その事実を告白されて、煩悶し、林蔵と直接面談して、Aとの不倫な関係を断つことを要求しようと考えたが、林蔵が前記のように粗暴な性質で右の要求に対し、乱暴を働くであろうことをも予想し、その時期方法について苦慮懊悩しながら日を過して行つたのであつた。かくする中、林蔵の態度は依然改らず、同年三月六日頃再度Aから林蔵との不倫行為について直接訴えられたため、林蔵に対し、不倫行為を断つべきことを強硬に要求することを決意し、林蔵から暴行を受けた場合の護身用として、同月、七八日頃出刃庖丁(千葉地方裁判所木更津支部昭和二十七年領第十七号の一乃至三)一挺を買求め、同月九日被告人宮崎幹雄の長男豊秋が生後間もなく死亡し、葬儀があつたので、林蔵方に行き、葬儀終了後、同日午後八時三十分頃林蔵方母屋西方の隠居所で、林蔵に対し「Aとの世間の評判が悪いから、Aは当分帰さない。自分のところにおかせてくれ。」といつたところ、林蔵は返事をしようともせずいきなり「何を」と言いながら炭火の入つたままの焜炉を投げつけ、立ち上つて来たので、被告人堀切も立ち上り、相当興奮して所携の出刃庖丁を右手に持ち、これをもつて突き剌せば、同人が死亡するに至ることを知りながら、林蔵の胸部を数回突き剌し、出刃庖丁の柄が拔けてこれを落して組打ちとなり、林蔵が戸を排して外に逃げたのでこれを追い、南側庭先で林蔵の上に馬乗りになつているところへ、被告人宮崎幹雄が馳けつけて来たので、同被告人に出刃庖丁を持つて来ることを依賴したところ、同被告人は、前記のような父林蔵の日頃の行状を想起し、特に自己の妻Bが姦淫されたこと、父とAとの不倫関係を考え、被告人堀切重富士に同情し、同被告人の依賴に応じ、柄の拔けた出刃庖丁を隠居所から持つて来て、同被告人に手渡したため、同被告人は更にこれをもつて林蔵の咽喉部胸部等を十回位突き、林蔵に左総頸動脈並びに左鎖骨下動脈を切断する左頸部剌創兼切創等の創傷を与え、同人をして右創傷にもとずく失血によつて死亡するに至らしめたものであり、被告人宮崎幹雄は右の行為によつて被告人堀切重富士の右犯行を容易ならしめて幇助したものであるが、被告人堀切重富士が右林蔵を殺害するの事情はこれを知らなかつたものである。
≪証拠の標目省略≫
法令の適用
② 被告人堀切重富士の判示所為は、被害者林蔵が相被告人宮崎幹雄の実父たる関係上、刑法第六十五条第二百条に該当するが同被告人は本件犯行当時妻Aと内縁関係あるに止まり、被害者林蔵は尊属に該当しないから、同法第六十五条第二項によつて、身分のないものの通常の刑である同法第百九十九条を適用し、所定刑中有期懲役刑を選択し、その刑期範囲内において懲役三年に処し、被告人宮崎幹雄の判示所為は、同法第六十五条第六十二条第一項第二百条に該当するが同被告人は被告人堀切重富士が右林蔵を殺害するの情を知らなかつたので同法第三十八条第二項によつて、同法第二百五条第二項を適用し所定刑中有期懲役刑を選択し、従犯であるから、同法第六十二条第六十八条第三号によつて法定の減軽を為し、その刑期範囲内において、同被告人を懲役二年に処し、既に説明したように被告人両名につき、本件犯行の動機に極めて同情すべきものがあると共に、被害者林蔵の粗暴な性格と極度に人倫に反した前記説明の行為は非難さるべきものであり、むしろ同被害者が本件犯行を誘発したものとすら考えることもできるので、被告人両名の本件犯行の罪質必ずしも軽からざるものがあるにせよ、その後被害者の立場にある宮崎家と加害者たる被告人堀切重富士との間には、被害者林蔵の死亡の結果によつて、何ら感情上の疎隔を生ずることなく、むしろこれを契機として同被告人と妻Aとの幸福な結婚生活が再出発し、近隣居住者全部被告人ら両名に対し、その量刑の寬大なることを上申歎願していることの認められる本件においては、被告人両名に対し、刑の執行を猶予すべき情状あるものと認められるから、同法第二十五条によつて、本裁判確定の日から各五年間右各懲役刑の執行を猶予し、押収に係る出刃庖丁一挺及びその破片並びに柄各一個(千葉地方裁判所木更津支部昭和二十七年領第十七号の一乃至三)は、被告人堀切重富士が本件殺人罪の用に供した物件で、同被告人以外の者に属しないから、同法第十九条第一項第二号第二項によつて、これを同被告人から沒収し、当審の訴訟費用は、刑事訴訟法第百八十一条第一項第百八十二条によつて、全部被告人両名の連帯負担とすることとする。
なお、弁護人秋山要、同鬼形六七八の主張中刑事訴訟法第三百三十五条第二項の事由に該当し判断すべきものについては、既に控訴の趣意に対する判断においてこれを示したとおりであるから、これを引用する。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判長判事 下村三郎 判事 高野重秋 真野英一)